三月 上巳の節供 【じょうしのせっく】

上巳の節供
  • 邪気払い
  • 女児の健康祈願

女の子の幸せと健やかな成長を願う日

上巳の節供(ひな祭り)の起源は、古代中国で旧暦3月の最初の巳(み)の日「上巳節」に行われていた行事にさかのぼります。

中国では、この日、季節の変わり目に生じやすいとされる邪気を祓うため、水辺で身を清める厄払いの儀式上巳の払いを行っていました。3世紀ごろには日付が33日に定まり、人々の間で広く行われるようになります。

一方、日本には、紙や草木で作った人形(ひとがた)に自分の穢(けが)れや災いを移し、それを川や海に流して身を清める「人形(ひとがた)流し」という風習がありました。

奈良から平安時代にかけ、中国から「上巳節」が日本に伝わると、この二つの風習が結びつき、宮中では厄払いの儀式として取り入れられるようになります。また、同じころ貴族の女の子たちの間では、紙で作った人形を使ったおままごと「ひいな遊び」が流行。この「ひいな遊び」と「人形流し」の風習が徐々に融合し、人形を使った厄払いの儀式として定着したといわれています。

江戸時代に入ると、人形作りの技術が進歩し、豪華で美しい座り雛が登場。人形は、川や海に流すものから飾って楽しむものへと変わり、庶民の間にも広がります。それを機に、女の子の誕生と健やかな成長を願う「ひな祭り」へと変化し、家族や地域で祝う華やかな行事として定着しました。

「上巳の節供」の行事食

上巳の節供の行事食

ばらずし(ちらし寿司)

「寿司」という漢字には「寿(ことぶき)を司(つかさど)る」という意味があり、古くからお祝いの席で親しまれてきました。中でもちらし寿司は、華やかな見た目と、縁起の良い山海の幸、そして一度に大勢で楽しめる手軽さから、大正時代ごろよりひな祭りの食卓を彩る定番となったと言われています。

京都では、細かく刻んだ具材を酢飯に混ぜ込み、錦糸卵や紅生姜、レンコンなどを上に載せたちらし寿司が定番。上巳の節供の料理は、平安時代の宮中で食べられていたものに由来するため、全て火を通した食材で作ります。

てっぱい

てっぱい

「てっぱい」は、野菜や魚介などを酢味噌で和えた料理。お好みで辛子や砂糖、みりんなどを加えて味を調えます。「てっぱい」という名前は、「鉄砲和え(てっぽうあえ)」という言葉が変化したものという説が有力ですが、その語源には諸説あります。京都では、定番の具材である「分葱(わけぎ)」を切る際に響く「パチンパチン」という音が鉄砲の音に似ていることから名付けられたという説や、食べる時に分葱の芯が鉄砲の弾のように飛び出す様子からその名が付いたという説も伝えられています。また、香川県では、かつて具材として使われていた「フナ」を「鉄砲」と呼んでいたことが由来だともいわれています。

はまぐりのお吸い物

蛤のお吸い物 【はまぐりのおすいもの】

ひな祭りに蛤のお吸い物を食べるのは、対になる貝殻同士でないとピタリと合わない蛤の特徴が由来します。その姿を「夫婦円満の象徴」と見立て、女の子が良縁に恵まれるようにとの願いを込めて食べられるようになりました。

引千切(ひきちぎり)

引千切 【ひきちぎり】

ピンクや緑に色付けした餅の上に、そぼろ状の餡や餡玉をのせた生菓子。中央をくぼませた杓形で、端は引き千切ったような独特の形です。店や作り手によって趣は異なりますが、雛祭りの時期になると、京都の和菓子店やスーパーなどあちこちに並びます。発祥は、宮中行事で子どもの幸せを祈願する儀式で用いられた「戴餅(いただきもち)」。猫の手も借りたいほど忙しい時に、餅を丸める手間を惜しんで引き千切ったことにちなんでいると言われています。また、アコヤ貝の形に似ていることから「あこや」と呼ぶところもあります。