一月 お正月 【おしょうがつ】

- 家内安全
- 幸福祈願
- 無病息災
歳神様をお迎えし、家族の健康と幸せを願う
お正月は、年の初めに「歳神様(としがみさま)」を住まいに迎え、共に過ごして家族の幸せを願う行事です。「正」の字には「年をあらためる」という意味があり、“年の変わり目を新たな気持ちで迎える”という願いが込められています。本来は1月全体を指す言葉でしたが、現在では一般的に元日から7日頃までの「松の内」を意味します。ただし、地域によっては、松の内を15日または20日までとする場合もあります。
お正月は、日本の年中行事の中で最も古いものの一つとされ、6世紀頃には存在していたと伝えられています。当初は祖先の霊を祀る行事として始まりましたが、次第に五穀豊穣の神様を迎え、その年の豊作や家族の無事を祈る行事へと変化しました。現在の形態は、平安時代後期のお年賀(お正月の挨拶)、江戸時代の正月飾りやおせち、明治時代以降に定着した初詣など、時代と共に形づくられてきました。
歳神様を迎える準備は、12月13日の「正月事始め」から始めます。古代中国の暦で婚礼以外の全てを始めるのに大吉とされていたことから、この日から大掃除を進め、清らかな状態で神様を迎えます。
お正月飾りは、縁起が悪いとされる29日(二重苦)や31日(一夜飾り)を避けて飾るようにしましょう。門松は歳神様が家に来るための目印で、歳神様が滞在する「依り代(居場所)」。また、神聖な米で作られた鏡餅も同様に歳神さまの依り代であり、お供え物でもあります。歳神さまに供えた後に下げていただき、共に口にすることで神聖な力をもらえると信じられています。

「お正月」の行事食

御節料理 【おせちりょうり】
おせち料理の原型は、弥生時代、季節の変わり目を祝う中国の「節(せち)」の文化と、自然の恵みに感謝し神様に供え物をする日本の「節供(せちく)」の習慣が結びついたものといわれています。奈良時代には、宮中で神様に料理をお供えする「御節供(おせちく)」が慣わしとなり、これが「おせち」の語源となります。そして江戸時代にはこの習慣が庶民へと広がり、特に一年の始まりであるお正月の料理を指すようになりました。おせち料理は、もともと神様へのお供え物です。そのお下がりを家族で分け合うことでご利益を得られると考えられ、料理一品一品に、五穀豊穣、健康長寿、子孫繁栄などの願いが込められています。また、重箱に詰めるのは「めでたさを重ねる」という意味があります。


祝い肴三種 【いわいざかなさんしゅ】
たくさんの品数を揃えたおせち料理を用意するのが難しくても、基本の「三つ肴」とお雑煮さえあれば、十分お正月らしさを味わえます。関西の「三つ肴」といえば「数の子、ごまめ(田作り)、たたきごぼう」。関東では「黒豆、数の子、田作り」を指します。数の子は子孫繁栄、ごまめ(田作り)は五穀豊穣、黒豆は無病息災、たたきごぼうは家業安泰や延命長寿の願いが込められています。

お雑煮 【おぞうに】
関東のお雑煮(左)は、鰹節や昆布でだしをとった醤油ベースのすまし汁に、焼いた角餅、鶏肉、青菜などを入れたものが一般的。角餅には「敵をのす」という縁起担ぎがあり、味噌仕立てを避けたのは「みそをつける(失敗する)」に通じるためといわれています。一方、関西のお雑煮(右)は、煮た丸餅、大根、金時人参、里芋などすべて丸い形にそろえ、まろやかな白味噌仕立てにするのが特徴。「角をたてず、丸く収める」という意味が込められています。ただし、日本各地でお雑煮は多様化しており、これら以外にも独自の雑煮文化が存在します。

花びら餅 【はなびらもち】
丸く平らに伸ばした白い餅、または求肥の上に、紅色の菱餅、白味噌餡、甘露煮にした細切りごぼうをのせて半分に折りたたんだ和菓子。京都から全国各地へ広がりを見せるお正月の甘味です。ルーツとされているのは、平安時代の宮中で、長寿を願いお正月に食べられていた「菱葩餅(ひしはなびらもち)」。丸餅と菱餅を重ねたものに、猪肉や大根、鮎の塩漬けなどをのせて食べられていました。その後、丸餅と菱餅を重ねた餅で、塩漬けの鮎と味噌を包んだ「宮中雑煮」に変化。そして明治時代、甘みを加えた和菓子の「花びら餅」が生まれ、さらに茶道裏千家の初釜(新年最初の茶会)で用いられたことから、新春の茶席にも欠かせない味となりました。

大福茶 【おおふくちゃ】
元日の朝、一番に口にし、心身を清めるお茶。器に小梅、3~5cm角の昆布、または結び昆布を入れ、白湯や煎茶をさします。平安時代、時の天皇が疫病退散を願って飲んだ「皇服茶(おうぷくちゃ)」が起源といわれています。
